危険ドラックを使って暴走した車で人をはねた 初公判が行われたそうです。
被告は危険ドラックを使って、車が暴走し、人をはねて 殺す と言った危険を認識していなかったそうです。そして、争う姿勢を示しているそうです。

ニュースキャスターや、コメンテータや、へなちょこ夫の「嫁」さんも「なんで危険を認識できないねん」「なんで争う姿勢を示すんだ」等と、口を揃えて言っていました。

確かに、自分もそう思います。

ただし、一方、へなちょこ夫の考えは、認識することができていないのだから、危険だとも思わないことは 「当然ある」 ような気もするのであります。
しかし、なぜ、危険が認識できないのか、危険 と 認識とは一体なんなのか?疑問に思ったので調べてみました。

「認識」とは基本的には哲学の概念で、大きく分けて、経験的認識と、理性的認識に分けられ、
直観的認識、感性的認識、理性的認識、知性的認識などがあるとされる。それぞれの認識の成立には、感性、直観、理性、そして知性ないし悟性などの主観あるいは精神の機能が働くとされる。んだそうです。(Wikipediaさんより)

 

「危険」生命や身体の損害、 事故・災害などが生じる可能性のあること。また、そのさま。「身に―が迫る」「高所での ―な作業」⇔安全。2 悪い結果を招く可能性があること(デジタル大辞泉さんより)

へぇ~哲学の概念ねぇ~知らなかったであります。

そんな哲学的な概念を へなちょこ夫はどこで「知識」や「理性」として情報を蓄えたのでしょうかねぇ~。
誰かに教えてもらったとしたら、自分は「親」からなのでしょうかぁ・・・・・ははは。
そんな、「危ないこと」の認識を人間はどうやって判断しているのでしょうか?
親から学ぶことや、学校、地域、人から聞いたり、 TV、新聞、ラジオ・・・・・色々なところから膨大な情報をどこからか、得て、「これが危険」、や「やってはいけない」ことを判断するのでしょうか?

あ~・・・・・・。(思い出してしまってごめんなさい)そして、へなちょこ夫の考えは、「正しいこと」 や 「間違っている」 と言う「批判する」ことを言いたいわけではありませんので聞いてください。
どこかの、社会科の先生が、中学生を相手に 後藤健二さんの遺体画像・動画を見せたことを思い出しました。

子供の成長過程の中で適切でない・・・・・・・等など、と言って、この社会科の先生が非難されておりました。

へなちょこ夫はそのことを聞いて、「なんで非難される必要がそこまであるのか?」疑問に思うのであります。
成長期の中学生を相手に、リアルな画像や、映像を見てトラウマになる子供たちもいるので、「ある程度」・・・・・・もうちょっと?・・・・・うーん。
見せ方に配慮がいるのかもしれませんが、「これが現実」なんだ と教えることは必要だと思います。

そんな小学生、中学生の時代に、これら危険、認識、判断 と言った基礎的な(哲学的な?)情報をもっと教えていかなければ、オブラートで包んだ教科書では「実感」が湧かないため、「理性」と言う認識に結びつかないのではないかと考えます。
よし!じゃぁどうしたら良いか?と思ったときに、
危険ドラックをやった加害者は、刑務所に入り、その後、社会貢献活動として○年間、危険ドラックを使った恐ろしさと、認識できていなかった部分を「人に伝える」のです。
世の中には取り組みを実施している活動団体がいくつもありますので、そこで義務として活動するのであります~。
そして、学校教育でも、そんな取り組みが実施されていることをもっと伝えるのであります~。

学校の現場で講習をしては如何でしょうか?って言うアイディアを考えました。
なんか、アメリカの社会貢献活動を「ぱっくってる」みたいになりますねぇ~ あはは(笑)

gakko



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